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読書、旅行、音楽など

読書、旅行、音楽について

【2016年8月】買った本

先頭の番号は通し番号。()内は、買った日付。@以下は、購入場所。

計27冊、34,694円。お金が無くなる筈である。

 

1(7)、市川寛『検事失格』新潮文庫@PARCO渋谷店

 閉店日。洋書は50~90%OFFになっていたが、全部写真集なので買わず。もっと早くいっていればよい洋書があったかもしれない。

2(10)、池田亀鑑『平安朝の生活と文学』ちくま学芸文庫@生協

 大学の講義で名前が出てきた、「源氏物語三部説(=光源氏の出世、転落、宇治十帖)」提唱者で、写本の鬼。

3(〃)、中村彰彦保科正之中公新書@〃

 会津行ったので。著者は宮脇俊三だか誰だかと関係があるとどっかの本にあった。保科正之は立派な大丈夫。

4(〃)、毛利敏彦大久保利通』〃@〃

 大久保利通は日本史史上、有数の「政治的」人間。

5(〃)、武部健一『道路の日本史』〃@〃

 一面平地のモンゴルなどと異なり、地形の入り組んだ日本では交通路は大体変わらない。

6(〃)、北岡伸一後藤新平』〃@〃*1

7(〃)、毛利敏彦江藤新平』〃@〃

 似ていてややこしい。

8(〃)、佐々木克戊辰戦争』〃@〃

 これも、会津行ったので。中公文庫・中公新書のファンである。

9(〃)、大西英文『はじめてのラテン語講談社現代新書@〃

 講談社現代新書の新しいカバーはセンスが無い、という人が多いが、自分はむしろ好き。カサブランカの「カサ」は英語でいうcase、ブランカは英語でいうblank、フランス語でいうblancだよ、などとラテン語の子孫の言語(インド=ヨーロッパ語族ラテン系言語)についてまでも話は広がる。ラテン語については、いつか書くかも。

10(〃)、内田貴民法Ⅲ(第3版)』東京大学出版会@〃

 債権総論、担保物権

11(〃)、〃『民法Ⅳ(補訂版)』〃@〃

 親族、相続。一番ドロドロしたとこr(ry。

12(〃)、芝池義一『行政本読本』有斐閣@〃

 行政法入門として。高橋和之立憲主義日本国憲法(第3版)』、山口厚『刑法(第3版)』と似たような背のデザインのやつです。

13(〃)、『日本短篇文学全集(全四十八卷揃)』筑摩書房@高原書店

 11,000円程度。ちょっと、近代以前が薄いな。好きな上田秋成が入っているから良いが。

14(12)、『会津女性の物語』歴史春秋社@会津武家屋敷歴史資料館

 「第一次会津旅行」中に買った。

15(19)、磯田道史『江戸の備忘録』文春文庫@啓文堂渋谷店

16(〃)、〃『無私の日本人』〃@〃

 磯田道史さんは、理想の学者。福沢諭吉の言う、「実学」の学者といえよう。(『歴史の愉しみ方』中公新書だかに、実際それを目指していたと書いてあった気がする。)

17(〃)、泉麻人『大東京23区散歩』講談社文庫@〃

 地図だけでも素晴らしい。わかりやすい。

18(21)、迫水久常大日本帝国最後の四か月』河出文庫@河野書店

 鈴木貫太郎内閣内閣書記官長(今でいえば内閣官房長官か)。毎度軍部に殺されかける。

19(〃)、吉川幸次郎陶淵明伝』中公文庫@〃

 最近自分の中でオリエンタリズムが勃興中。

20(〃)、ダグラス・マッカーサーマッカーサー大戦回顧録』〃@〃

21(〃)、中村彰彦『ある幕臣戊辰戦争 剣士伊庭八郎の生涯』中公新書@〃

 会津旅行が終わっても(会津旅行についてもいつかまとめないと)、依然幕末の本を蒐集。

22(〃)、東京大学史料編纂所『日本史の森をゆく 史料が語るとっておきの42話』〃@〃

23(〃)、友田昌宏『戊辰雪冤 米沢藩士・宮島誠一郎の「明治」』講談社現代新書@〃

 会津旅行前は奥羽越列藩同盟側に立っていたが、白河城、猪苗代城あたりあまりにも作戦がいい加減なので、最近西軍(官軍と自称)側に立っている。

24(〃)、松浦玲『徳川慶喜 将軍家の明治維新(増補版)』中公新書@〃

 また幕末の話。

25(〃)、笠原英彦『歴代天皇総覧』〃@〃

 便利。読んでいるだけで面白い。

26(〃)、江村洋ハプスブルク家の女たち』講談社現代新書@〃

27(〃)、加来耕三『刀の日本史』〃@〃

 最近出たばかりなのに、もう古本で並んでいる。会津で日本刀を色々見て興味が高まっていて、この本読みたかったのでラッキー。加来耕三さんは「英雄たちの選択」にも出演していてよく見る。戦う日本史家。

*1:

https://www.youtube.com/watch?v=qlCn9cYvdaI

「来た丘」という部分で、毎回北岡伸一が頭の中に出て来る

藤圭子は「暗い歌手」か?

1950~1980年は日本人が「生きていた」感じがする時代であると思っている。それを最も体現したのが、変なことに「暗ぁ~い歌手」としてデビューさせられた藤圭子だと思っている。以下に色々理由らしきものを示す。

【戦後の、生への意思】戦後直後は生きるためならなんでもやった。それは、

1、「戦争が終わったのに今から死んでたまるか」というクソ意地、

2、「男なら一度の敗戦・・・もとの日本にして返せ(こういう歌があったと佐々淳行『焼け跡の青春・佐々淳行』文春文庫40頁)」という意地

によるもので、高度経済成長まで人々の間で戦争は続いていた。貧困、物資不足という形で。実際の戦争で兵士や防火組として死ねばそれは栄誉ある戦死、無念の戦死となるのに対して、戦後は死んでもそれはただの「野垂れ死に」で、「負け」である。死が近づくと生が意識される。食管法を遵守した人(東京地裁の裁判官や帝国大学教授など)もいたが、それは権力側の意地によるもので、一般人はそんな法律も当然そっちのけで腕が抜けるくらいの食料の大荷物を田舎から運び込んだり、列車で丸二日間たちっぱなしで食料調達に行ったりと、「法よりも現実」の主義で生きるために動いた。現代から思うと、そこに「生」を感じる。

 

【生とは生々しい】岡本太郎『自分の中に毒を持て』青春文庫あたり見れば分るとおり、岡本太郎は「美とは『綺麗ね~』で済むようなものではなく、もっと生々しく、露骨で、こちらの身に迫ってきてそのため不快感さえ与えるものだ」というようなことを言っていて、それはそのまま生命にあてはまるとする。実際、米兵が落とした食べかすに駆け寄ってそれを食べる光景、全員が食料調達のために列車に詰め込んで乗り込む光景からは生々しいという感じがする。

 

藤圭子の表層】藤圭子も「戦争は知らないがその影響をもろに受けた」1950年代生まれで、しかも東北・北海道で吹雪の日も一家で歌を歌って回ることで生計を立てていた。

色々あってスカウトされて東京に来て巡業するようになるのだが、東京で沢ノ井龍二(石坂まさを)に会い、以後藤圭子石坂まさをに引っ張られるようにして活動を展開する。石坂まさをがすごい人物で、なにがすごいのかというと熱量。五木寛之『怨歌の誕生』双葉文庫石坂まさを『きずな 藤圭子と私』文藝春秋を見ればわかるが、藤圭子に生を掛けている。

注意すべきは、藤圭子がデビューする1969年(昭和44年)あたりは小野田さん、横井さんの帰還や三島由紀夫自決など、「戦争の影は少しずつ消えていったが、貧困や思想的反発から、『街がキレイになってゆくという復興』に乗り遅れた人々が出てきて差が生まれてきた」時代という事。五木寛之は、藤圭子は「民衆からの無言の怨みを知らず知らず巡業によって集めて、あの歌声になった」というようなことを言っているが、趣旨は分かる。殴られても蹴られても、結局反抗はしないがしかし闇の中からジッと無言で睨んでいるような怨みを歴史上無名である民衆に感じる、というようなことで言語化しがたいのだが。

そうした時代のなかで、いわば不幸を売りにして、人々に「藤圭子=不幸な子」のイメージを植え付けることで石坂まさを藤圭子デビューに成功した。このあたり、前出の五木寛之の本に収録されている短編(藤圭子デビュー前に発表)に似ていて、石坂まさをはこれを参考にしたのでは、と疑う。デビュー後も、石坂は藤圭子に対し「なるべく笑わない様に」徹底し、かつ、父親・母親について不幸を週刊誌に流し続ける事で、「藤圭子=不幸な子」のイメージを定着・更新し続けた。それによってレコード販売も伸び、空前絶後の記録に達した。

 

藤圭子の本質】1970年10月23日の渋谷公会堂の公演は1周年記念で、当時19歳である。しかし、生涯で最も上手い音源である。1955~1969、1970~1985、1986~1992と分けると最初が春日八郎、三橋美智也三波春夫水原弘で、真中が日本の文化レベルが圧倒的に世界最高だった時代、最後はそのおつり、そしてバブルでパアという感じだが、その1970~1985にあって圧倒的差をつけて上手い。

1、そもそも藤圭子は、芸歴が長いので声に持久力もあるし、天性で上手い

2、(五木寛之に言わせれば)当時はまだ「怨み」に裏付けされた歌声をもっていた

3、渋谷公会堂の音響が最高

4、バックの演奏がよく歌声にマッチしている(対して昭和46年サンケイホール公演の演奏はひどい)

あたりが理由だろうか。2はよくわからないが。

私は「星の流れに」「港が見える丘」「長崎は今日も雨だった」が特に好きだというのは置いといて、藤圭子はその公演で戦後からの代表曲を選んで歌った。歌唱から勿論五木寛之の言うようなことも感じるのだが(「星の流れに」の3番、「闇の夜風も」のあたり等)、なによりも、「ああ、この人は今まで這ってまで生きてきてとうとうここに至ったんだな」というように、強い生命力を感じる。考えてみれば、吹雪の中、一軒一軒回って歌を歌い、ある日は寺の縁下で寝て生きてきて、やっと渋谷公会堂に至った人に、強い生命を感じないはずがない。踏まれてもなにされても生きていく、という図太さを感じる。岡本太郎の言に通じると思われる。藤圭子というと、「あの自殺した人ね」という感じが最近だが、19歳で頂点を極めて人よりも早く大人になった人が、残りの人生何をしようというのか。*1

 

石坂まさをの功罪】上のような感じで、結局「這って生きてきた」藤圭子は、石坂まさをにより「藤圭子=不幸な子」という生涯消えない刷り込みをさせられた。それによって爆発的に売れはしたが、同時にそこが藤圭子の限界になってしまった。つまり、聞き手からすれば「藤圭子=不幸な子=闇」という理由で、他の歌手と別枠で、なにか見てはいけないものを見たような、これからの社会で埋もれていくような感じ(実際、この後は花の中三トリオなどで、更にその後はバブル世代になり文化レベルは世界頂点から真っ逆さまに転落する)である。藤圭子が明るい歌を歌えば、「似合わない」「らしくない」ということになってしまう。新宿で自殺をすれば、「やっぱり『新宿の女』ね」と言われて、もう見返されることは無い。(そもそも歌謡曲全体がもう見返されなくなってきている)

藤圭子 港が見える丘 昭和45年10月 渋谷公会堂 - YouTube

*1:当時の人間は今の人間と比較にならないくらいはやく大人になったのに、その彼らよりもはやく大人になったのである

日本史と異教科結び付けて勉強する試み

吹奏楽で「バビロン川のほとりで」という大好きな曲があって、「バビロン川」とはオリエントの「ティグリス・ユーフラテス川」の事なので、私はこの曲を聴く度に古代オリエント諸国家の軍人が、馬やロバの曳いた戦車の上で槍や弓を持って交戦している様子を思い浮かべるのですが、こんな感じで、異なる教科同士を結び付けて勉強できないだろうか・・・できるはずだ、という内容。

 

バビロン川のほとりで/By the Rivers of Babylon - YouTube

 

【建国】「大黒様の歌」(「大黒様は誰だろう、大国主命とて・・・」のヤツ)で建国神話から入ろう。

古墳時代】レキシのハニワの歌とか聞いてもいいね。

飛鳥時代

奈良時代上代折口信夫死者の書』でいいんじゃないかな。当然『万葉集』は必読だが、長いので生徒には斉藤茂吉『万葉秀歌』岩波新書で免じてあげていいだろう。

平安時代日記文学を使って、「紫式部日記」、「御堂関白記」あたり有名所で古文の勉強と兼用。音楽は神楽でよいだろう。「大鏡」が面白いかも。

鎌倉時代】「吾妻鏡」読んだり、鎌倉に笠懸見に行ったり。

建武の新政】『桜井の訣別』一択。

室町時代】戦国時代はなんかのゲームで良いとして、最初の方は思いつかん。

安土桃山時代】なし

【江戸時代】「御駕籠は行きます東海道・・・」の歌とか?「お江戸日本橋・・・」とか? 桜田門外の変は、『侍ニッポン』だろうな。

【明治時代】『広瀬中佐』・『水師営の会見』。『水師営の会見』は歌詞全部覚えているか、あやういぞ。

【大正時代】

【昭和時代】『昭和枯れすすき』でいいや。

【平成時代】ないね。

外面世界の隙間(アニメ、音楽、文学において)

新世紀エヴァンゲリヲンTV版の解釈さまざま 」という記事の最後部にも書きましたが、例えばエヴァで言う「使徒が高層ビルを破壊する」といったことで逆に内面世界(自分の内心)と向き合うようになる、というようなことがあると思います。日頃外面世界ばかり見ていて、おそらく老衰死する数日前にでもならないと内面世界に耽溺する境地に到達しないと思いますが、ともかく、外面世界が全てじゃないんだよ、と思い出させてくれるものをアニメ、音楽、文学から。*1

 

アニメはエヴァ。詳細は「新世紀エヴァンゲリヲンTV版の解釈さまざま」参照。

 

音楽は山下達郎でしょうか。『踊ろよ、フィッシュ』『Sparkle』『高気圧ガール』とか、よく人の声とか電子音(←ほかに言い方・・・)をあんな様に聞いたこともない風に使えるなと思う。

 

SPARKLE 山下達郎 1985 2/23~24 神奈川県民ホール Live - YouTube

 

 

文学は、いろいろあるけども日野啓三。例えば、『風を讃えよ』という作品(日野啓三『あの夕陽 牧師館』講談社文芸文庫に収録)はセンターの過去問で最初見たが、それで本を買った。普通我々は風を「現象」として扱っているし(実際そうである)、意識することもないが、これは風を(というか、地球を)身近に感じられる人の話。驚いた。とても疑問なのだが、こうした作品を書いた人は、日本でまともに暮らせるのだろうか? 感性が麻痺しないで、よくこの国で生きて来られたと思う。死者の5人に1人が自殺(15分に1人自殺、自殺者3万人程度)する病理国家で。

 

 

【おまけ・自殺率の高さについて】

よく知らないが、日本の行政上の問題(「いのちの電話」などの助ける制度の不足)なのか、経済不況のせいなのか、あるいは日本人の性質の問題(周りを気にする、会う人によって人格の使い分けをするなど)なのか、なんなのだろう。

電車に飛び込んでくる人を運転席後ろから見たことがあるが、「ホームからモノが倒れてきて、ガラスにヒビ」である。飛び込む直前は、ヒトに見えなかった。完全にモノだった。そして乗客の人も、「チッ」という感じで、駅員もそういう感じで、死体や血液を掃除して、翌日、車掌が乗客に放送で謝るという感じ。飛び込み現場をわざわざ遠くから見に来る人もいたが、そういう人はよくよく現場を見て、全て目に焼き付けた方が良いと思われる。

完全に想像だが、戦後直後と違ってゴロゴロとしていても生きられる現代、どうも、生きていても「生きている実感」がないのではないだろうか。だからアクション映画を見て生き生きした生を想像したり、何か身近に危機が訪れて自分が命を張って人を救うことを想像したりするのではなかろうか。そして、自分が生きていることを確かめる為に、或いは簡単にいえば自分にも鮮血が流れていることを確かめる為に死ぬのではないだろうか。その辺の所、今後勉強してみたい。

*1:アニメって、銀河鉄道999とか鉄腕アトムとかブラックジャックとか、ああいうやつのことであって、最近のヤツではないです

新世紀エヴァンゲリヲンTV版の解釈さまざま

エヴァTV版*1にまつわる様々な解釈をまとめます。

2015年春~夏にTV版、旧劇、新劇(序破Q)を見ました。有名なアニメでファンも多いしパチンコにもなっているのでという理由で、たまたま最初に目に入った「アスカ、来日」から見たと思います。それを見て「面白い」と思って本腰入れて(勉強に本腰入れてほしいものです)全話見たという感じでした。

まず、TV版以外も入れた大分類それぞれ大雑把な印象を言うと、

 TV版・旧劇:【世紀末的世相、庵野秀明氏の影響下で出来た、あの時代でしか出来ないであろうアニメ】(今の「アニメ」と比べて、エヴァ製作に影響を及ぼした原因の「根の深さ」が全く違う。但し、「エヴァが世間に与えた影響」は、今のアニメと同レベルで、まあ「綾波、アスカかわいい」とかそんなもんだろうけど。それは視聴者側の問題であって、エヴァの問題ではない。わかりづらいけど)

 序・破:綾波↔シンジ←アスカという関係のラブコメエヴァじゃない。

 Q:庵野氏の金稼ぎ。御家庭も出来たし、安定志向の商業主義へ。

 

という感じで、今回はTV版について扱います(新劇を扱うことは無いでしょう)。以下に複数の解釈を列挙します。

 

【単純アニメ的解釈】つまり、「初号機かっこいい」「綾波かわいい」といった、アニメをそのままアニメと取る解釈で、この解釈によればエヴァは「襲来する使徒を葛藤の末退治するアニメ」で、最終話のシンジへの「おめでとう」とは、「使徒に勝てておめでとう」の意。

 

キリスト教神学的解釈】エヴァ製作側も「衒学アニメ」と自称するように、意図的にこう見せているし、この解釈を取る人も多い。つまり、旧劇の最後のシーンで「シンジは第二のアダム、アスカは第二のエバ」だとか、「綾波レイは三位一体における、『霊』」だとか、まあ色々。実際、十字架が登場したり、SEELE(ゼーレ)とかもドイツ語で「魂」を表したり、人類の「原罪」「救済」だとか、製作側もそう見せている。ただ、重大な問題がある。それは、①最終話の「おめでとう」の解釈がつかない、②そもそもエヴァは(時々出て来るように)「自分の内心との対話・葛藤」とかシンジ・アスカにおいては「他人との接し方」みたいな、心理学的要素が強いのに(②の後者はキリスト教的どころか日本的な問題である)、それの解釈が漏れている、という二点。そこで、これは不適である。

 

【発達心理学的解釈】迫り来る「使徒」に対処するため、各人エヴァの操縦席に乗るのだが、その度にあの閉鎖空間の中で「自分の心との対話」が否応なく始まる。「なんでエヴァに乗るのか?」「自分は本当に『強い子』なのか?(アスカ)」「自分に存在価値(Raison d'être)はあるのか?」など。つまり、「使徒」とは社会において襲い掛かってくる「課題」であり、それと対面することが自分と向き合うことに結びついている、と取る。私はこの説に賛成。最終話の「おめでとう」とは、そうした葛藤、自問自答の末、「僕はここにいてもいいんだ」と解決したシンジへの祝賀。また、これは考えすぎかもしれないが、エヴァは搭乗者(シンジ・アスカ)の死んだ母親と関係がある(「ずっとここにいたのね、ママー(アスカ)」など)のを踏まえて、シンジが「コックピットは血の匂いがする」という発言を何度かすることから、シンジ・アスカがコックピットに乗る事は出産の過程を逆から遡っているのではないか、そしてコックピットは胎内ではないか。そうした「自分が産まれていない状態」に戻ることで自分の人生を外から眺め直し、自分と対話しているのではないか、と思った。『心よ原始に戻れ』という曲名からも、「母胎回帰」という概念がエヴァで重視されていると思える。

 

社会学的解釈】製作されたのは世紀末であり、「21世紀が迫って、しかも1つのミレニアムが終わる!」という年号面での閉塞感に加えて、バブル崩壊と、それによる住専問題(これは大事なのでいつか触れる)、土地価格崩壊、リストラなどの経済的閉塞感によって、一気に生活が暗転した多くの人々が「なんで俺生きてんの?(自分の存在理由)」ということについて考えざるを得ない状況になり、オウム真理教など宗教が流行った。「新世紀が迫っているのに、何の課題も解決できていないじゃない。自分はなんで生きてるの?」という精神的状況が世間を包んだと思う。

『心よ原始に戻れ』を聴いたことがあるだろうか?(( あの歌詞が分かりやすいと思う。変な言い方だが、「使徒」が街の高層ビルを壊していくたびに、パイロットは自分と向き合うのである。外の表面世界が壊れていくほど、自分の内面世界をより深く発見する。そうして見つけてしまった内面世界の、(外面世界に向けていない)「自分」との調整を果たすことを続けていく(アスカで言えば、外面は「強くて自立的な子」だったが、内面は「勝ち続けないと自分の存在理由が分からない子」だった)。それが戦い。割と【発達心理学的解釈】と親和的である。要は、世相が影響を及ぼしていたとする考えであり、私は賛成。というか、1995~1999の日本そのものを体現している。

エヴァにおいてシンジが自分の存在理由を発見し自己の課題を解決した様に、エヴァは「新世紀の理想的な迎え方」を示した。だが、日本は結局ズルズルベッタリで、20世紀の問題を21世紀に持ち越してしまい、経済不況もマシになるに従い、内面世界から目をそむけ、「高層ビル」の外面世界に囚われるようになる。

先ほどの「エヴァコックピットは胎内」の話と関連するが、『心よ原始に戻れ』というタイトルからも分かるとおり、エヴァは、「産まれる前の、母親と一体の状態で自分と向き合ってみる」ことが多い。それと、よく綾波が服を着ないで出て来たり、その他全般そういうシーンが多いのは、庵野氏が未体験だったのが影響していると思う。逆に、未婚だったから捨て身でいろいろ挑戦でき、TV版が生まれた、というのはある。新劇は、金儲けに入って、ただのラブコメと映像技術自慢になってしまった。

*1:新劇はエヴァじゃない、とまで言いたい