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新世紀エヴァンゲリヲンTV版の解釈さまざま

エヴァTV版*1にまつわる様々な解釈をまとめます。

2015年春~夏にTV版、旧劇、新劇(序破Q)を見ました。有名なアニメでファンも多いしパチンコにもなっているのでという理由で、たまたま最初に目に入った「アスカ、来日」から見たと思います。それを見て「面白い」と思って本腰入れて(勉強に本腰入れてほしいものです)全話見たという感じでした。

まず、TV版以外も入れた大分類それぞれ大雑把な印象を言うと、

 TV版・旧劇:【世紀末的世相、庵野秀明氏の影響下で出来た、あの時代でしか出来ないであろうアニメ】(今の「アニメ」と比べて、エヴァ製作に影響を及ぼした原因の「根の深さ」が全く違う。但し、「エヴァが世間に与えた影響」は、今のアニメと同レベルで、まあ「綾波、アスカかわいい」とかそんなもんだろうけど。それは視聴者側の問題であって、エヴァの問題ではない。わかりづらいけど)

 序・破:綾波↔シンジ←アスカという関係のラブコメエヴァじゃない。

 Q:庵野氏の金稼ぎ。御家庭も出来たし、安定志向の商業主義へ。

 

という感じで、今回はTV版について扱います(新劇を扱うことは無いでしょう)。以下に複数の解釈を列挙します。

 

【単純アニメ的解釈】つまり、「初号機かっこいい」「綾波かわいい」といった、アニメをそのままアニメと取る解釈で、この解釈によればエヴァは「襲来する使徒を葛藤の末退治するアニメ」で、最終話のシンジへの「おめでとう」とは、「使徒に勝てておめでとう」の意。

 

キリスト教神学的解釈】エヴァ製作側も「衒学アニメ」と自称するように、意図的にこう見せているし、この解釈を取る人も多い。つまり、旧劇の最後のシーンで「シンジは第二のアダム、アスカは第二のエバ」だとか、「綾波レイは三位一体における、『霊』」だとか、まあ色々。実際、十字架が登場したり、SEELE(ゼーレ)とかもドイツ語で「魂」を表したり、人類の「原罪」「救済」だとか、製作側もそう見せている。ただ、重大な問題がある。それは、①最終話の「おめでとう」の解釈がつかない、②そもそもエヴァは(時々出て来るように)「自分の内心との対話・葛藤」とかシンジ・アスカにおいては「他人との接し方」みたいな、心理学的要素が強いのに(②の後者はキリスト教的どころか日本的な問題である)、それの解釈が漏れている、という二点。そこで、これは不適である。

 

【発達心理学的解釈】迫り来る「使徒」に対処するため、各人エヴァの操縦席に乗るのだが、その度にあの閉鎖空間の中で「自分の心との対話」が否応なく始まる。「なんでエヴァに乗るのか?」「自分は本当に『強い子』なのか?(アスカ)」「自分に存在価値(Raison d'être)はあるのか?」など。つまり、「使徒」とは社会において襲い掛かってくる「課題」であり、それと対面することが自分と向き合うことに結びついている、と取る。私はこの説に賛成。最終話の「おめでとう」とは、そうした葛藤、自問自答の末、「僕はここにいてもいいんだ」と解決したシンジへの祝賀。また、これは考えすぎかもしれないが、エヴァは搭乗者(シンジ・アスカ)の死んだ母親と関係がある(「ずっとここにいたのね、ママー(アスカ)」など)のを踏まえて、シンジが「コックピットは血の匂いがする」という発言を何度かすることから、シンジ・アスカがコックピットに乗る事は出産の過程を逆から遡っているのではないか、そしてコックピットは胎内ではないか。そうした「自分が産まれていない状態」に戻ることで自分の人生を外から眺め直し、自分と対話しているのではないか、と思った。『心よ原始に戻れ』という曲名からも、「母胎回帰」という概念がエヴァで重視されていると思える。

 

社会学的解釈】製作されたのは世紀末であり、「21世紀が迫って、しかも1つのミレニアムが終わる!」という年号面での閉塞感に加えて、バブル崩壊と、それによる住専問題(これは大事なのでいつか触れる)、土地価格崩壊、リストラなどの経済的閉塞感によって、一気に生活が暗転した多くの人々が「なんで俺生きてんの?(自分の存在理由)」ということについて考えざるを得ない状況になり、オウム真理教など宗教が流行った。「新世紀が迫っているのに、何の課題も解決できていないじゃない。自分はなんで生きてるの?」という精神的状況が世間を包んだと思う。

『心よ原始に戻れ』を聴いたことがあるだろうか?(( あの歌詞が分かりやすいと思う。変な言い方だが、「使徒」が街の高層ビルを壊していくたびに、パイロットは自分と向き合うのである。外の表面世界が壊れていくほど、自分の内面世界をより深く発見する。そうして見つけてしまった内面世界の、(外面世界に向けていない)「自分」との調整を果たすことを続けていく(アスカで言えば、外面は「強くて自立的な子」だったが、内面は「勝ち続けないと自分の存在理由が分からない子」だった)。それが戦い。割と【発達心理学的解釈】と親和的である。要は、世相が影響を及ぼしていたとする考えであり、私は賛成。というか、1995~1999の日本そのものを体現している。

エヴァにおいてシンジが自分の存在理由を発見し自己の課題を解決した様に、エヴァは「新世紀の理想的な迎え方」を示した。だが、日本は結局ズルズルベッタリで、20世紀の問題を21世紀に持ち越してしまい、経済不況もマシになるに従い、内面世界から目をそむけ、「高層ビル」の外面世界に囚われるようになる。

先ほどの「エヴァコックピットは胎内」の話と関連するが、『心よ原始に戻れ』というタイトルからも分かるとおり、エヴァは、「産まれる前の、母親と一体の状態で自分と向き合ってみる」ことが多い。それと、よく綾波が服を着ないで出て来たり、その他全般そういうシーンが多いのは、庵野氏が未体験だったのが影響していると思う。逆に、未婚だったから捨て身でいろいろ挑戦でき、TV版が生まれた、というのはある。新劇は、金儲けに入って、ただのラブコメと映像技術自慢になってしまった。

*1:新劇はエヴァじゃない、とまで言いたい

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