SHIINBLOG

読書、旅行、音楽など

読書、旅行、音楽について

2017(平成29)年9月を振り返る

①1~2日:日本海・下関旅行中

②10日 :北朝鮮建国記念日(これと翌日の9・11等、北朝鮮地政学リスクが顕在化。日米間で温度差も)

③11日 :政府保有日本郵政株売り出しについて財務省発表

④14日 :同上についての説明会、藤圭子浅草国際劇場ワンマンショー初日(S45)

⑤28日 :大学堂(文京区本郷)

これが最も思い出に清かである。

<年表>

S7  東京大学正門前で開業

S50 先代他界

S61 本郷三丁目交差点(現在地)でも一般書を扱う店舗開業

   「伝票がこんなに(7cmくらい)あった」「多忙でレジが回らなかった」

   「千円レジで打つ時は慣れずに手が狂った」

S61?正門前店、立ち退きにより閉店。蔵書はオークションで売却し離散

 

「昔の教授は本をこんなに高く積んで勉強していて近寄りがたい雰囲気があった。書庫、縁側、書斎付きの家に住んでいるものだった」

「最近の教授はアパート暮らしで学生と同じ勉強の仕方をしている」

→「最近は何かおかしい」

「書店側はいくらでも高いレベルに持って行ける。お客さん次第」

→武道や警備において、上級者は初心者の力量が分るが、初心者は上級者の力量がえてして分らないものである、という話を思い出した。

 

近くに東京大学があるので付言すると、今の状態であっても「東大生だ、おおーっ」となる人が残っているということは、まだ東京大学に期待する人が存在するということである。大学一般のみならず東京大学にも期待する人がいなくなる時、それは日本において学問・教育が終わる時でもある、と思った。東京大学への期待を薄れさせないよう、東京大学の学生はそれこそ昭和一桁時代の様に勉強することを目標にしてやってほしい、と思う。同じ法学つながりで言うと、現在本郷界隈の法学書専門店「伸松堂(しんしょうどう)」の店内に入ったならば、当時の「勉強」のレベルが垣間見えて為になる。そこにあるような本を高く積み上げて熱心に頁をめくる姿は、鬼気迫るものではなかろうか。そんな教授・学生だからこそ敬意を持たれたのではなかろうか。

 

……結局勉強の話になってしまった。。。